僕は今でこそ釣りやキャンプにハマっているけど、もともとは超インドア派だった。
家で仕事をして、昼夜逆転しながら机の前で何年も生きてきたタイプ。
外に出る理由なんてほとんどなかったし、「わざわざ不便なことをする意味」が本当にわからなかった。
だから最初に伝えたいのは、キャンプが嫌いでも、行きたくなくても、それは完全に正常な反応だということ。
むしろ、人間として合理的ですらある。
自然の中に行くと、暑い・寒い・汚れる・虫が出る・寝づらい・トイレが微妙・荷物が重い。
普通に考えたら、嫌に決まっている。不快と不安のダブルパンチだ。
そして僕自身、今も心のどこかで思っている。
「キャンプって、面倒くさいよな」 と。
片付けは多いし、道具は高いし、釣りも結局コスパは悪い。
嫌いな人の視点は僕の中にも今も残っていて、だからこそ断言できる。
キャンプ嫌いは、才能の問題じゃない。
外遊びを愛せるかどうかは、「才能」でも「根性」でもない。
ただの“きっかけの有無”でしかない。
僕も、きっかけがなければ一生キャンプを好きにならなかったと思う。
たまたま誘われた。たまたま天気が良かった。たまたま釣れた。たまたま隣にいた誰かと笑えた。
ほんの偶然が、面倒くささを一瞬だけ上回った。その一点突破で、世界の見え方が少しだけ変わった。
本当にたまたまそうなっただけだ。
だから、あなたがキャンプを好きになれなかったとしても、それがあなたの世界線なんだ。
あなたは最初からそのままで正しい。
じゃあ、僕らキャンプ好きは何を見ているのか?
ただひとつだけ、嫌いな人にも伝えておいた方がいいこともある。
「キャンプが好きな人は、あなたとは違う“世界の見え方”で生きている」ということ。
それは優劣ではなく、ただの“別の言語”で世界を理解しているだけだ。
・朝の光で世界が静かに立ち上がる瞬間が好だったり
・沸騰したコーヒーの湯気が風に溶けるのを眺めたり
・波の音で心がゼロに戻る瞬間があったり
・不便さの中で、自分がゆっくり取り戻されていく感覚があったり
こういう「微細な感覚」が、外遊びを好きにさせている。
もちろん、あなたにこの目線を強要するものではない。
ただ、もしあなたがキャンプ好きの友人や家族を少し理解できたら、彼らは本当に喜ぶ。
同調はいらない。ただ“そんな世界がある”と知ってくれるだけで十分。
キャンプ好きはマイノリティだ。
実は、キャンプや釣りを愛している僕らの方がマイノリティだ。
不便を楽しむなんて、変わってる。ボウズばかりなのに、何度も釣りに行くなんて狂ってる。
やっと釣れた1匹で何日も語れるなんて、なかなかの変態だ。
でも、そういう“ちょっと変わった価値観”の人たちが、世界を少しだけ楽しくしているのも事実。
その感覚をあなたが理解する必要はないけど、「そういう人たちもいるんだな」と思ってくれたら、それだけで関係性はすごく良くなる。
この記事シリーズの目的
この campmindset シリーズでは、
「キャンプに行きたくない人の気持ちを守りながら、外を好きな人の世界もそっと言語化する」
という立ち位置で書き進める。
・行きたくないのは当然
・好きな側は別の構造を見ているだけ
・お互いが理解し合える“安心の交差点”をつくる
このベース記事はその出発点。
次回から、より具体的に“心の距離の縮め方”や“無理しない外遊び”を深く掘っていく。
キャンプに行きたいない人のために
行きたくない人が安心できる「最小キャンプOS」
──行かない自由を守りながら、行っても苦しくないラインを作る。
素人だけど、検証して最適は選ぶ。
